新月配列 vs 新下駄・薙刀式 — 同時押しとの差は「同時押しの重さ」次第で消える

同時押し方式の新下駄・薙刀式と、順次打鍵の新月配列を統一ベンチマークで比較しました。既定条件では新下駄が 1 位ですが、同時押し 1 回のコストを重めに見積もると順位が逆転します。両者の差が確定しない理由と、順次打鍵の実務的な利点を整理します。

結論から

方式打鍵方式ハード要件キー数時間/かな(β=0.6)β=0.3β=1.0順位範囲SFB
新下駄同時押しJIS 余剰キー391.743(1 位)1.6481.8711–14 位9.9%
薙刀式 v15 (ortho)同時押しortho・split301.811(4 位)1.6711.9981–24 位13.5%
新月 ANSI30順次ANSI 30 キー301.815(5 位)1.8151.8152–14 位3.7%
薙刀式 (JIS)同時押し40% キーボード291.851(8 位)1.7062.0444–26 位13.5%
新月 v8.6(現行)順次ANSI(周辺キー)321.887(12 位)1.8871.8876–18 位4.8%

この 5 つはすべて同格グループの中にあります。 順位は「同時押し 1 回が単打何回分の時間か」という 1 つのパラメータで入れ替わります。

同時押しの重さ(β)で順位が変わる

統一ベンチマーク では、同時押しを 1 動作として扱い、そのコストを「最も重いキーの労力 + β ×(キー数 − 1)」で計算しています。β は 2 キー同時押しが単打の何回分に相当するか を決めるパラメータです。

β2 キー同時押し = 単打◯回分1 位新下駄薙刀式 ortho新月 ANSI30
0.31.3 回分NICOLA(1.626)2 位3 位7 位
0.6(主表)1.6 回分新下駄(1.743)1 位4 位5 位
1.02.0 回分月見草(1.804)5 位22 位2 位

順次打鍵の新月は β の影響を受けないので、値は 1.815 のまま動きません。一方 新下駄は 1.648〜1.871、薙刀式 ortho は 1.671〜1.998、薙刀式 JIS は 1.706〜2.044 と大きく動きます。 β を軽く見積もれば同時押し勢が上、重く見積もれば新月が上に来る、という関係です。

なぜ β を決められないのか

「2 キー同時押し 1 回が単打何回分の時間か」をミリ秒単位で直接計測した研究は、文献調査でも見つかりませんでした。

近傍の知見はあります。

  • 先行キーが反対の手で打たれた場合、同じ手で打たれた場合より 30〜60 ミリ秒速い(一般的なタイピング研究の知見)
  • 同じ手の中の 241 種類の 2 連続キーで、タップ速度に約 3 倍のばらつきがある(Estimation of digraph costs for keyboard layout optimization, 2015)
  • 親指シフトのシフト側の文字は、シフトなし側の 1.2〜1.3 倍の時間がかかる(実測ブログ)
  • 同時打鍵を 1 アクションと数えた「アクション効率指数」では、薙刀式・新下駄・シン蜂蜜小梅が 0.97、親指シフトが 1.0(大岡俊彦氏の計算、2026)。ただし同氏自身が「高速打鍵しない前提の、楽さの指標」と限定しています

いずれも「同時押し 1 回 = 単打何回分」の直接の答えではありません。この空白がある限り、新下駄・薙刀式と新月の順位は決まりません。 β を 3 通り振っているのは、この空白を隠さないためです。

同指連続では新月が有利

同時押し方式は打鍵数を減らせる一方、同じ指で連続して打つ割合(SFB)が高くなります

方式SFB打鍵/かなホーム段比率
薙刀式13.5%1.16〜1.2039.5%
新下駄9.9%1.2661.5%
新月 ANSI303.3〜4.6%1.36〜1.3958.8〜61.2%
新月 v8.64.8%1.3455.7%

新月は打鍵数が多い代わりに、同指連続が薙刀式の 1/3、新下駄の半分以下 です。「打鍵回数は多いが 1 打あたりが軽い」という設計で、結果として推定時間が同じ帯に収まります。

同時押し判定が要らないという価値

速度とは別に、実務上の差があります。なお新月配列も導入には設定ソフト(macOS: Karabiner-Elements / Windows・Linux: hazkey)が必要なので、「ソフト不要」ではありません。差は次の点です。

同時押しには判定ウィンドウが要る

同時押し方式は「2 つのキーが同時に押されたか」を判定するために、時間のしきい値(判定ウィンドウ)を持つソフトかキーボードファームウェアが必須 です。そして、

  • 打鍵が速すぎると、順次に打ったつもりのキーが同時押しと判定される
  • 遅すぎると、同時押しが 2 つの単打になる
  • しきい値は個人差があり、体調や疲労でも変わる

という調整が発生します。順次打鍵は キーを押した順序だけで決まる ので、この調整が要りません。新月配列は hazkey ではローマ字テーブル(かな → キー列の対応表)の差し替えだけで導入でき、キーイベントの時間を扱う層に触れません。

ハード要件

方式必要なもの
新下駄39 キー。無変換・変換など JIS キーボード固有のキー
薙刀式 v15 (ortho)ortho(格子配列)・split キーボード
薙刀式 (JIS)40% キーボード相当のキー割り当て
新月配列標準 ANSI キーボードの 30 キー(現行版は [ ] を含む 32 キー)

新下駄・薙刀式が上位にいるのは、JIS 余剰キー・親指キー・ortho/split という追加ハードを使えるから です。ベンチマークではハード制約をかけずに評価しているので、これらは有利な条件で測られています。それでもなお、ANSI 30 キーだけの新月が同じ群に入っています。

どちらを選ぶか

こういう人おすすめ
自作キーボード(ortho / split)を持っている薙刀式。ハードの利点をそのまま使えます
JIS キーボードで、無変換・変換キーを活用したい新下駄。既定条件では 1 位です
ノート PC の内蔵キーボードや ANSI キーボードで完結させたい新月配列
同時押しの判定調整をしたくない / 打鍵速度にムラがある新月配列(順次打鍵)
複数の環境(会社 PC・ノート・外付け)で同じ配列を使いたい新月配列。ハード要件が最小です

速さで選ぶ理由はどちらにもありません。 このデータで言えるのは「同格グループの中で、ハード要件と打鍵方式の好みで選べばよい」ということです。


データと再現方法

数値は日本語入力 56 方式の統一評価(2026-09-13 実施)から引用しています。

  • 評価器: 統一評価器 evaluate.py。時間モデルは Rust 実装(shingetsu_rs/src/model.rs)と同一
  • 同時押しの扱い: 1 動作として扱い、コスト = 最も重いキーの労力 + β ×(キー数 − 1)。β = 0.3 / 0.6 / 1.0、主表は 0.6
  • コーパス: 公開 150,024 かな(青空文庫『こころ』『坊っちゃん』+ Wikipedia 10 記事)。私的 91,875 かなで対照
  • 信頼区間: 40 チャンク × 200 回ブートストラップの 95%
  • 順位範囲: 重み 5 セット × β 3 通り = 15 条件での最良〜最悪順位
  • SFB・交互率は、本モデルの「動作間の遷移」に対する比率(前置シフトも 1 動作として数える)

方法の全体像と全 56 方式の結果は 日本語入力 56 方式ベンチマーク にあります。

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